シャルダンは同世代の主要なフランス人画家のなかにあってただ1人、アカデミーによる厳格なトレーニングを受けずに育った。彼は自分に正式の美術教育が欠けていることを嘆いてみせたが、それはおそらく、硬直したアカデミーの教授法を椰険してのことだった。
シャルダンが晩年に、美術批評家で哲学者のデイドロ相手に雄弁に述べているところでは、7歳か8歳で無理やり鉛筆を揺らされ、版画や古代彫刻の石膏像の模写をやらされる子供たちの苦痛、また剣闘士や古代の女神やサテエロスの像を前に彼らが流す挫折の苦い涙がおもんばかられている。
シャルダン自身は古代ないし盛期ルネサンスの美術にインスピレーションを求める必要をまったく感じなかったし、カーズの工房で古代彫刻の版画の模写をやらされた初期の経験を、死ぬほど退屈だったと考えていた。
こうした単調な営為を10年にもわたってやらされていたら、間違いなく彼の観察力は芽生えることなく終わっただろう。
シャルダンはけ30年代の初めに台所を題材にした静物画を描き始め、ありふれた家庭用品のなかから形と色がおもしろいものをいくつか選んだ。
板に油彩で描かれたこの小品は、彼の作のなかでも最も完壁な構図をもつ一点である。
銅製の貯水器は彼の好みのモチーフで、「買物帰りの女中」の背景にも登場する。
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