新古典主義 1750〜1800                           西洋絵画美術館  >> 新古典主義


ロココに続いて絵画文化の主導権を握るのはやはりフランスなのだが、不思議なことにロココ様式の全面否定から始まる。
人々は、優雅だが享楽的で虚構に彩られた作品に「ノー」の声を出すようになったのだ。
イタリアルネサンスの古典美術をもう一度見直そうという流れが始まった。
ポンペイの遺跡発掘が始まり多くの古代遺跡が発見されるなか、古き良き時代への懐古的な精神文化が育った時代である。
こうした絵画美術の様式を「新古典主義」という。


ダヴィッド  1748〜1825
ジャック=ルイ・ダヴィッド。彼はロココ様式を否定した新古典主義を代表する画家なのだが皮肉なことにロココ絵画を代表する画家ブーシェの親戚である。
しかも、ブーシェの紹介で他の画家に弟子入りしたという経緯まであるのだから、なんとも皮肉なことである。
ローマ留学から帰ったダヴィッドの評価は高く、ルイ16世からの注文も受け、いわばパトロンになったわけだが、フランス革命が起こるとダヴィッドは国民議会に選出され王を糾弾する立場になってしまった。
結局彼は、王の処刑に「賛成」の票を投じ、その後のナポレオンに専属画家として迎えられることになるのだが、彼の心の内は複雑なものであったろう。
しかし、ナポレオンの天下も終わると彼自身も失脚し、命も危険な状況となりブリュッセルに逃避、この地で最後を迎える。
ダヴィッドは短気で情熱的な性格が浮き沈みの多い生涯となってしまった。
ダヴィッド サン・ベルナール峠のナポレオン ダヴィッド ソクラテスの死 ナポレオンの載冠 ホラティウス兄弟の誓い
サン・ベルナール峠のナポレオン ソクラテスの死 皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフェーヌの戴冠 ホラティウス兄弟の誓い


アングル 1780〜1860
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルはフランス南西部の田舎町モントーバン生まれた。
17歳でダヴィッドのアトリエに入り、画家への道を歩み始めた。
ローマ賞を受賞してからは何年もイタリアで過ごしルネサンスの巨匠たち、特にラファエロの研究に没頭しアングル独特の官能的な美の理想を見出した。
ナポレオンの庇護を受けて生活は豊かであったがナポレオンの失脚とともに一旦はどん底生活に一転する。
だが、パリは戻るとサロンで絶賛され、ロマン派のドラクロワとライバルとして位置づけられ新古典主義の旗手としてもてはやされた。
社交界の肖像画や官能的な裸体画で有名になった。
アングル 絵画 アングル ユビテルとテティス アングル 王座のナポレオン一世
アングル 絵画
ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像 ユピテルとテティス 王座のナポレオン一世 ベルタン氏の肖像