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有名西洋絵画の解説と紹介をするインターネット美術館です。アルチンボルド 

ジョゼッペ・アルチンボルド

宮廷を魅了した奇想の画家



Giuseppe Arcimboldo

1526〜1648

 

イタリア
 

1526〜1527年、イタリアのミラノで画家の息子として生まれた。
父の下で仕事を習い1549年にはミラノ大聖堂のステンドグラスの下絵を父とともに担当した。また、1551年には同大聖堂の職人として雇用された記録が残っている。
ミラノの修行時代は画家というより単なる職人として扱われていたようだ。


1562年ごろ神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の治世に「再三催促されてハプスブルグの宮廷に赴いた」と同時代の記録にある。なぜ、さほどの実績がないアルチンボルドが宮廷に招聘されたのかそれ以前約10年間の記録がないため謎である。
宮廷画家となったアルチンボルドは伝統的な技法で皇太子マクシミミリアン一家の肖像画を描く一方「奇想的な」作品「四季」を連作で描いている。



   「四季・春」

ハプスブルグ家が四季のように「永遠に循環する繁栄」を迎えるよう祈念して描いたと言われているが、実際には何の記録もないのでアルチンボルドが何を意図として描いたのかは謎である。
彼はこの作品以外でも奇想天外な作品を描いている。



    「庭師」

何ともユーモラスで不思議な発想である。この作品を逆さにすると鉢の中に野菜が詰め込まれているだけの何の変哲もない作品なのだが、こうしてみると何ともユニークである。
それになぜこの作品のタイトルが「庭師」なのだろうか、こんな顔の庭師でもいたのだろうか。

アルチンボルドはこのように「奇想」な作品を何点も描いている。それがまた、宮廷内でも評判となり皇帝も好んで描かせていたようだ。

1564年、フェルディナント1世が亡くなり、自然科学に造詣の深いマクシミリアン2世が皇帝になるとアルチンボルドは更に優遇され隣国への贈り物としても彼の作品は使用されることとなった。

1576年、ルドルフ2世が皇帝に即位するとアルチンボルドは貴族の称号を受け、先帝と同じように厚遇され宮廷内の祝賀行事などの小道具や衣装にも皇帝のアドバイザー的役割を果たすようになる。

しかし、イタリアミラノへの望郷の念が積もり、1587年、かねてからの願いが叶い故郷ミラノに戻った。その際、皇帝からの多額の報奨金を受けていることから最後まで宮廷画家として厚遇されていたようだ。
1593年、ミラノの自宅にて死去。享年66〜67歳

作品の購入はギャラリーアオキ「アルチンボルド」のページで購入できます。