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有名西洋絵画の解説と紹介をするインターネット美術館です。ホイッスラー 

ジェームス・アボット・マクニール=ホイッスラー

異国のアメリカ人



James Abbott McNeill Whistler

1864~1901

 

フランス
 
ホイッスラーは、1834年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェルに土木技師の子として生まれた。アメリカ人であるが、パリで美術を学び、画家としての生涯の大半をロンドンとパリで過ごしている。

ホイッスラーは、土木技師であった父が鉄道建設の仕事のためロシアに移住するのに従い、1842年(1843年とも)からの数年間をロシアのサンクトペテルブルクで過ごし、その後、ロンドンやブリストルにも住んだ。1851年にはアメリカに戻ってウェストポイントの陸軍士官学校に入るが1854年に中退(正確には放校処分。化学の成績が悪かったからとも。なお、士官学校には父親が製図の教官として勤めていた)。1年間ほどワシントンD.C.で地形図の銅版画工として働いた後、1855年にはパリに居を構えている。

パリでは当時のリアリズムの巨匠であったシャルル・グレールのアトリエに通うが、その伝統的な画風にあきたらず、当時の革新的な画家であったギュスターヴ・クールベに強い共感を覚えた。パリでは画家のアンリ・ファンタン=ラトゥール(1836 - 1904)、アルフォンス・ルグロ(1837 - 1911)と「三人会」を結成している。

数年後の1859年にはロンドンにもアトリエを構え,ロセッティ兄妹と知り合った。以後、ロンドンとパリを往復しつつ制作活動を続け、1860年からはロンドンのロイヤル・アカデミーに出品している。ホイッスラーは1862年にロンドンの展覧会に出品し、翌1863年にはパリの「落選展」に出品された、当時恋人だったジョアンナ・ヒファーナンをモデルにした『白の少女』(ホワイト・ガール)で一躍注目を集めた。この作品では、モデルの少女の白いドレス、手にしている白い花、背景の白いカーテン、足下の白い敷物など、さまざまな白の色調が対比され、人物の内面描写よりも色彩のハーモニーを表現すること自体が絵画の目的となっている。この頃から彼の作品には「シンフォニー」「ノクターン」などの音楽用語を用いた題名が付されることが多くなった。

1876年から翌年にかけては、パトロンであった富豪レイランドのロンドンの邸宅の室内装飾を手がけた。壁面に孔雀を大きく描いた食堂の内装は、のちに部屋ごとワシントンDCのフリア・ギャラリーに移されている。1879〜80年はヴェネツィアで過ごしたが再びロンドンに戻り、1886年にはイギリス美術家協会会長に任命されるなど、名実ともにイギリス画壇の中心人物となった。1903年にロンドンで没している。(ウイキペディア参照)


 作品



「白のシンフォニーNO.1:白の女」
1862年 214.6x108cm
ワシントン ナショナルギャラリー
  1863年のサロン落選者展でいちばんの話題をまいた作品で、詩的なファンタジーと解釈された。
構図の簡潔さが、ホイッスラーの言う、この絵の本当のテーマである絶妙な色彩のハーモニーの効果を増している。





「灰色と黒のアレンジメント:母の肖像」
1871年 144.1x162.6cm
パリ オルセー美術館

この有名なホイッスラーの母親の肖像画は、1871年夏、母親のロンドン滞在中に制作された。顔は横顔で示され体は、ホイッスラーの肖像画の特徴である散光のために平板化されている。それでも体がきちんと保たれているのは、カーテンと幅木と絵の枠の線のためである。

ホイッスラーはのちにこう語っている。「母の削象画なので私には興味采い作品だ。しかし、一般の鑑賞者は、これがだれであるかなどということは気にもかけないいアレンジメント″として成功しているか否かで、絵が自立できるか、できないかが決まる」。
 

 

「陶磁の国の姫君」
1864年 200x116
ワシントン フリア美術館


  画題から、ホイッスラーが収集に夢中だった東洋の青花磁器から連想された作品であることがわかる。
この作品はフレデ`リック・レイランドが購入したが、ホイッスラーはレイランドにロンドン、プリンセス・ゲイトの自宅の装飾を依頼され、有名な「孔雀の間」をつくり上げた。




「肌色と緑のバリエーション:バルコニー」
1865年 ワシントン フリア美術館


 この美しい絵は日本の版画がヒントになっている。あとになって加えた蝶が装飾的な感じを高めており、影をつけない青の地に置かれた花々と同じく、絵の平面性を強調している。

 ホイッスラーの絵は、肖像画と、風景画または海景画に人きく二分することができるが、画題が示すとおり、真のテーマは色彩と構図のハーモニーである。
 「白い女」は女性の全身像を描いた連作の嚆矢となった作品で、「陶磁の国の姫君」もこの連作中の1点である。

ホイッスラーが図柄と色彩についての考えを推し進めるにっれて、これらの作品に見られる装飾的な異国趣味は影をひそめ、≪母の肖像≫の簡素さがこれに取って代わる。明るい背景、細部の省略、微妙な色調の変fヒカi、≪ムー嬢の肖像≫や≪テオドール・デュレの肖像≫のような晩年の肖像画のスタイルの特徴になる。構図は簡素といってもいいほどで、限られた色彩を自在に操るようになったホイッスラーの熟達ぶりを示している。